山本観山

上田流尺八道臥龍斎大師範
広島を拠点にユニークな活動を行っている尺八演奏家

山本観山の演奏録(演奏動画紹介)

http://kanzan-ensouroku.blog.jp/

雑感

ご縁

昨夜 竹友K.I氏と二人で初めての飲み会をしました。
竹友と言っても、これまで接点は殆どなくお互いの活動を断片的に知っているという間柄でした。
偶々メールをすることあって、今度一杯やりたいですね?・・・そうしましょう、そうしましょうとなった次第です(笑) 
氏は、1歳私より上ですが、場所は違えど(K氏は関西私は広島)同じ学生邦楽を経験し、これまでそれぞれ違ったエリア(場所や楽曲嗜好や人間関係)で「尺八」を通じて経験したことは共通の知見(演奏家やコンサート等)も多く、話題に事欠かず、懐かしいお話、家族の話、健康の話、音楽についての考え等々熱く語り合いました(笑) 気が付けばお店のお客は我々だけ閉店の準備をされているのに気づくまで4時間をゆうに超えていた時間にも気づかないほどでした。(笑)
もっと早くこのような機会があったら良かったですね!また近々に!と約束して別れました。

一方で、この年齢になってやっと(お互いに)、他人の話を聞ける或いは聞いてその趣旨が理解できる歳になった! もしもっと若い時にこのような機会があったらお互いに自己主張をしあって、相互否定の印象の残る後味の悪いものになっていたかもしれない、以後の関係が不味くなりそのまま疎遠になってしまったかもしれないのではないか? とも思いました。
ご縁はができる(深まる)人とは、絶妙なタイミングで出会ったり深まったりするのだろうな!とあらためて思いました。
彼とはこのタイミングでお話が出来たのも天のお導きなのだろう・・・そのお導きに抗わず身を任せる が良い!
余談 話に夢中になったおかげで格安のお勘定で済みました (笑)

広島市政功労表彰

先般(10月8日)広島市役所におきまして 令和2年度広島市政功労者表彰式があり松井広島市長より表彰状と記念品をいただきました。
『あなたは永年にわたり本市文化の振興のため多大な貢献をされその功績は誠に顕著であります ここにその功績をたたえ表彰します』とのことでした。・・・穴があったら入りたいくらい気恥しい気持ちでした。
これまでの人生(71年)でこのように公式に褒められた経験はありませんので戸惑いもありました。
大学に入学して、何気なく始めた尺八ですが、先輩や同僚に恵まれ、尺八の魅力に取りつかれてしまい今日に至りました。
顧みれば、広島大学邦楽部(工学部)、ぐるーぷ“樹”、糸方の師匠、広島市文化協会、ひな祭り文化普及協會、呉三曲会、広島ハノーバー友好協会、音楽は平和を運ぶ、日独友好協会、国際文化交流事業団体、広島県合唱連盟、小中高校での邦楽鑑賞授業、上田流尺八道、NPO法人全国邦楽合奏協会、竹葉会(尺八山の会)等々での様々な活動や4年間の大学生生活、38年勤務した会社(広島アルミニウム工業㈱)での体験を通じて、本当に多くの方々とご縁をいただき、掛け替えのないなことを学ばせていただきました。
誠に有り難く、心より感謝する次第です。

私にとりまして、この表彰は身に余る想定外の出来事でした。
一方で、自らのこれまでの人生を振り返り、様々な方々との一つ一つの出来事について懐かしく思い出させていただく良い機会となりました。
また、これを一里塚として、残余の人生を(絶滅危惧種と言われて久しい)尺八音楽の継承発展に少しでも貢献できるよう、さらに微力を尽したいと決意する機会にもなりました。
   ありがとうございました!

尺八で得た豊かな人生

「日本の粋 尺八―五十人の心と至芸の世界」(1997年4月10日 文芸社発行)
  尺八との出会い~尺八で得た豊かな人生
   ・尺八の道を志した理由・経緯
   ・尺八を通して得たもの
   ・稽古方法及び門人のこと

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尺八で得た豊かな人生  

尺八の道を志した理由・経緯

私がはじめて尺八の音を聞いたのは、昭和三十年代の中頃であったと記憶しています。
私の父が職場の同僚と尺八を習い始め、家に帰って一生懸命練習をしていたことを覚えています。当時、小学校の三年か四年の私にとって、父の吹く尺八の音はあまり居心地の良いものではなかったような記憶があります。
その後、父の出演する邦楽演奏会を母に連れられてよく聴きに行きましたが、最初は聴いているが途中で退屈になり、会場を出て外で一人遊んでいたそうです。
このように、私にとって尺八は、身近な存在ではありましたがあまり印象の良いものではありませんでした。したがって、将来父のように尺八をやってみたいとかやろうとかという気持ちは、当時は全くありませんでした。
しかし、好奇心から時折父の尺八を手に持って吹く真似事をしていたので、一応音らしきものは出ていました。しかし楽譜は全く読めませんし、曲も吹けません。
転機となったのは、昭和四十三年に大学に入学した時です。高校時代から、大学に入学したらなにかしらのサークルに所属しようと決めていました(高校時代の先輩や先生からサークル活動で友人を作ると、より有意義な学生生活を送れると教えられていました)ので、入学と同時に色々なサークルに見学に行き捜しましたが、なかなか決まりません。中学、高校とバレーボール部に所属していましたが、高校時代に身長が伸びなかったので続ける事は諦めていました。
そうこうしているうちに四月も終わり、五月になりました。新入生もほとんどその落ち着き先が決まり、私一人取り残された感じがして焦りはじめていました。
元来、どちらかというと内向的で優柔不断な性格でしたので、何事も決めるのに時間がかかる私でした(現在もその性格はあまり改善されていないようですが……)。
五月の連休明けでしたが、昼休みに大学の食堂に昼食に行ったとき、雑踏の中から尺八の音が聞こえてきました。音を頼りに行ってみると、食堂の二階に邦楽部があり、そこで部員が数名で尺八の練習をしていました。そのとき初めて若い人が尺八が吹くのを見て何か安心したというか(それまで尺八を吹く人は、お年を召した方、あるいはちょっと変わった人というイメージがありましたが、立派な若者がそれも一人でなく複数で)意外というか、とても新鮮な感じを受けたように覚えています。
それで、とりあえず尺八サークルに所属しておこうかという軽い気持ちで邦楽部に入部したわけです。この軽い気持ちで入部してしまった(決して後悔しているわけではありませんが)ことが、結果としてみれば、その後の私の人生の大きな岐路となりました。
しかし、当時の私はこの選択がそれほどの意味を持つ大きな選択になるとは全く思っていませんでした。
入部して練習に参加するようになりましたが、新入生は尺八だけで既に十名くらい入部しており、もう『三段の調べ』などの曲を吹いていました。早く同級生に追いつくことが当面の目標でした。
私の入った当時の邦楽部は、新入生は二年生が指導することになっていたようで、尺八の持ち方、吹くときの姿勢、楽譜の読み方など基本的なことはすべて一年先輩の二年生からマンツーマンで教わりました。
二年生は六名ほどいらっしゃいましたが、皆、親切な良い先輩ばかりで、文字どおり手取り足取りで熱心に指導していただきました。しかしまた、各々その吹く尺八の音を同じように指導法にも個性があり、音程に厳しい人、音量を要求する人、音色を追求する人、リズムを強調する人、ただほめおだてる人など様々でした。
また、邦楽部には顧問として都山流の故石山天山先生が月に二回全体指導に来ておられ、先生からは伝統的な都山流本曲とその手法を学びました。
このように、私の場合、習い始めから色々な人に教わる機会に恵まれたことは本当に幸運であったと思います。このことがその後の私の練習方法、演奏技術習得法に大きく影響しました。
以上のような経緯で尺八を始めたわけですが、人並み以上に尺八が好きになり今日まで続けているきっかけは、学生時代にこの目で見、耳で聴いて体験した多くのことに有ると思っています。中でも入学して間もない頃、三年生の先輩が演奏した尺八の音を聴いた時の感動は言葉には表せません。今でもその印象が耳に残っており、時々思い出します。この時の、カルチャーショックともいうべき感動が、その後の私にとって、尺八を吹くエネルギーの原点であるような気がしています。
以後、大学の仲間を中心に和楽器集団ぐるーぷ樹を結成し、現代邦楽の活動の基盤と良き友を得ました。また、父(竹号 山本鈴観)の勧めで上田流尺八道に入門して家元上田佳道先生の立派なお人柄に接しながら、上田流本曲を学びました。


尺八を通して得たもの

これまでの私の人生を振り返ってみますと、「尺八がすべて」とまでは言いませんが、尺八は非常に大きなウエイトを占めています。最近は、尺八に使う時間の割合は以前に比べるとかなり減っていきましたが、少なくとももし尺八をやっていなかったら、私の人生は今とは全く違ったものになっていたことは間違いないことです。
勤め先も違っていたし、妻との出会いも無かったでしょうし、交友関係も全く違ったものになっていたでしょう。今の自分を取り巻く環境はすべて尺八を抜きにしては成立しなかったことです。
これまでの人生の節目節目での進路を決める時、必ず尺八のことも考えて決めてきました。気持ちの上では先ず尺八を自分の中心に置いてきたように思います。
しかしながら、私は尺八で生計を立てるプロの演奏家ではありませんので、当然仕事を持っています。サラリーマンとしての仕事があって、その仕事の時間以外の自分の時間を使って尺八の時間に当ててきました。
二十歳代後半から四十歳までは、仕事も時間的にも精神的にもかなりハードでしたが、サラリーを頂いている責任上少なくとも人並み以上の仕事をすることが尺八を続けていくための条件と、自分なりに考えておりました。
尺八を通して豊かになったことは、たくさん有りすぎて言い尽くせませんが、私の場合なんと言っても、尺八を通じて本当に多くの人々との出会いがあり、お知り合いになれたことです。もし尺八をしていなければ全く接点のあるはずのない分野の専門家、外国の人、年代の異なる人(老若男女)等、尺八のおかげでそれらの人たちとお話が出来ることは本当に自分の人生を豊かにしてくれています。
このことを考えると、本当に尺八をやっていてよかったと思います。

稽古方法及び門人のこと

私は、尺八は音質(音量+音色)が全てと考えています。尺八という、竹を素材とした楽器自体は全く単純で素朴な構成で出来ております。したがって、演奏においては、楽器が単純素朴なだけに、その演奏者に左右される部分が多くあります。この点が、演奏しやすいように楽器に改良を加えて来た洋楽器と大きく異なるところだと思います。
私は、尺八の最大の魅力は、この演奏者の個性が出せる(出さねばならない)楽器であるということだと思います。
尺八の道を志した理由・経緯のところでも述べましたが、新入生の時に手ほどきをしてくれた先輩諸氏の尺八の音は、その音を聞くだけで(顔を見なくても)誰が吹いているのかが分かる程でした。
練習の殆どを、この音創り(=すなわち音出し)に費やしています。姿勢を正し、しっかり息を吸って竹に吹き込む、また吸い吹くこの繰り返し、この間自分の出したい音質をイメージしながら繰り返します。私はこの音出し練習をもっとも大切にしています。その他の曲目を演奏する上でのテクニックは、曲の中でその都度練習しています。
私は、現在のところ門人と呼べる様な間柄の人はいませんが、広島大学に時々指導に行っている関係で、その卒業生が練習に来ています。また、勉強させてほしいと言ってこられるかたもいらっしゃいます。
いずれにしても、平日は仕事が遅くなりますので、日曜日や祝祭日でお互いに都合の良い日を練習日に当てています。
私の仕事の関係で、定期的に稽古日を設定することが出来ないので、一般で言われる師弟関係は有りません。
これらの人達と、年に一回の割合で発表会を主宰していますが、若い人が多く、自分も一緒に勉強させてもらっています。

演奏会・発表会について

私は、演奏会・発表会を開催する目定期としては、大きく分けると、二つ有ると思います。一つは、演奏者自身の自己研鑽(演奏技術の向上、表現力の向上、人前で演奏する満足感を体験する事など)を目的としたいわゆる出演者(演奏者)自身の為の演奏会、又は発表会。もう一つは、演奏者よりも他者すなわち聴衆に対し、尺八音楽の素晴らしさを伝える事を目的とした演奏会、又は発表会です。
もちろん一つの演奏会をこの二つのどちらかに完全に色分けをする事は出来ませんが、演奏会を主宰するとき、このどちらにウエイトを置くかを意識しておくことが大切だと思います。
この目的がどちらなのか、あるいはどちらのウエイトが大きいかによって、会場の選択、入場料の徴収の有無、及びその金額、演奏曲目の選択、曲目数の決定、あるいは賛助出演者の人選などが変わってきます。
すなわち、前者の演奏会は、出演者の技量に合わせた曲目を選び、全体の曲数も演奏者の人数や経験年数によって決めています。この場合聞きに来て頂く対象は出演者の家族や友人・知人などとなりますが、全体の時間があまり長すぎないよう留意しています。当然、目的から考えて、入場料は無料が原則で、出演者の自己負担としています。
後者の演奏会は、聴衆に対し尺八を通じて何らかの働きかけをするわけなので、演奏者にはある一定の演奏レベルが要求されます。
また、その演奏会を通じて聴衆に何を聴いて(感じて)貰いたいのかを意識して選曲し、また、演奏会場、舞台の雰囲気・衣装などもその雰囲気に合わせて決める様配慮する事が望まれます。
主催者がこの様に考えてゆけば、演奏会もより効果的になり、せっかく聴きに来てくれたお客様も満足して帰られる事でしょう。

最後に、これまで私を直接あるいは間接的にご指導くださいました全ての皆様に感謝し、
つたない文章の終わりとさせていただきます。本当に有り難う御座いました。

尺八の魅力

奈良時代に中国から伝わり、日本の風土で長い年月をかけて育まれてきた尺八。 その音は日本人の心に響く素晴らしい音色です。 尺八は心を癒やし、人生を豊かにします。 


尺八の魅力

尺八は竹で出来ています。 その構造はシンプルで素朴です。 製管師と言われる職人が一本一本手作りで製管します。 従って顔が一人一人違うように尺八も一つとして同じものはありません。 歌口と呼ばれる発音部分も言ってみれば竹を斜めに切っただけのシンプルな構造なので、微妙な顎の当て方や息の入れ方の違いで音色や音程が変わります。 上級者はこの微妙な変化を利用して繊細な表現が出来ますが、一方初心者の場合は音が出ないことが多いです。 「尺八は難しい」と言われる所以です。 各自あごに当てる角度を変えたり、息の入れかた、口の形などを工夫しながら自分の音(音質、音量)を作って行く必要があります。 いわば人の身体自身が楽器の一部なのです。 人の顔が各々違うように尺八の音も一人ひとり異なります。 オンリーワンの音を出せるのが大きな魅力です。 『自分の吹く音は世界に一つしかない!』ということなのです。         2014年 山本観山記
山本観山 プロフィール

山本観山


演奏活動に加え、様々なコンサートの企画開催のほか、NHK-FMラジオ放送『邦楽のひととき』に出演、小中学校の授業で邦楽鑑賞会、尺八ワークショップなど、広島を拠点に多方面でユニークな活動を行っている。


・上田流尺八道臥龍斎大師範・家元代講師・理事

・NPO法人全国邦楽合奏協会副理事長

・和楽器集団ぐるーぷ"樹"代表

・中国新聞文化センタークレドビル教室講師

・広島大学邦楽部尺八指導

・さんぼん会、山の会主宰

・竹葉会代表


詳しくはこちら
所属団体

・上田流尺八道

http://www.uedaryu.jp/


https://www.youtube.com/channel/UCdsH2LccS-Dkg3svJD2XCVg


・NPO法人全国日本邦楽合奏協会

http://zensokyo.org/


・和楽器集団ぐるーぷ“樹”


・広島市文化協会

http://www.hca.cc/


・呉市文化団体連合会・呉三曲会

https://www.city.kure.lg.jp/soshiki/106/bunren.html


山本観山

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